2007/03/25

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  2006年度のぱいでぃあ卒業式、他 

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ブログへの投稿が大分途絶えてしまいました。所要で失礼しました。「あれ?どうしたのかな?」と思ってくださる読者の方はいらっしゃいましたか?」

この間、公私にいろいろありました。

7人の卒業する生徒たち

フリースクール・ぱいでぃあではこの春、8人の中学3年生が飛び立っていきました。国立付属高校を本命と考えてがんばっていた子がうまくいかず、私立高校に方針を変えたがそこも一回ではうまくいかず、再挑戦でとどまったのは3月の半ば近く、卒業式を間近に控えた時であった。いやー心配させました。でも、最終的に8人とも、それぞれの道を求めて羽ばたいていきました。


餞の言葉

彼らの餞(はなむけ)に、一つのエピソードを紹介した。武田信玄のあの「人は石垣、人は城」という言葉である。

信玄は生涯城を持たなかった。人心を得ることが最大の守り&支えだと思ったからである。その信念を言い表したのがあの言葉である。実際には城は石垣に支えられ守られているが、あの石垣の石の一つひとつを見るといい。どれ一つとして同じ石はない。それぞれがごつごつと角張り強い個性を主張している。どれ一つとして角が取れた丸い石はない。角の取れた丸い石は見てくれは良くても石垣には役立たない。そしてそれぞれの石が互いにかみ合い、大きな石垣を形作るっている。

今改めて思い出すが、クラスの他の人たちがどれほど「イエス」と言おうと、自分は「ノー」だと思う、そう感じると学校に行けなくなった君たちであったはずだ。しかし、ここにやってきた時は「自分は…、自分は…」という思いでいっぱいであった君たちでもあった。とても、他人のことを思いやれる精神状態ではなかった。ところが、このフリースクール学び、体験を重ね、自分を再構築していく中で、薄皮を一枚一枚剥がしていくように自分の思いから自由になり、他人を思いやれるだけでなく、自分自身もどんな集団の中に身を置いても、一人でいても大丈夫な自分を作り上げて今日を迎えることが出来たのだと思う。

スマップの歌にもあるように、人はもともと掛け替えのないオンリーワンだ。今後君たちに求められるのは「コモン・センス」、常識ではなく共通感覚とでも言うべきものだ。これが備わっていればどこへ出て行っても大丈夫。宮沢賢治の詩集『春と修羅』の冒頭に次のような一節がある。

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わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です

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光り輝いているのは自分の個性だが、
その電流のエネルギーはどこから来ているか
それは自分ではない他者から来ている
自分というのは掛け替えのない個性を持っているが
自分が着ているものも食べているものも全部
他者から来たものであるそのことを自覚した社会人になって欲しい。

そんなことを話した。話すに当たって、私は原稿を持たない。


学生の悩み・大人の悩み

「ぱいでぃあ」を飛び立った子どもたちもはや大学生や社会人になろうとしている。フリースクールで日々接する子どもたちは中学生が中心だが、OBとなってからもいろいろ連絡は取り合っている。だから、時には大学受験生や大学生になってからの相談もある。

先日は、本命の大学に入れず、浪人をして頑張りたいので、その間の過ごし方を教えて欲しいという大学受験生がやってきた。そして、それと前後して、今度は大学生になっている学生から相談があった。それは学生としての悩みではなく、付き合っている彼氏がいて、今後どうしたらいいかという、大人としての真剣な悩みであった。人はそれぞれの成長に応じてそれぞれの悩みが生まれる。それが自然だ。先に生まれた者として、多少の知恵を示せればいいかなとも思う。