2006/12/02
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 「ALWAYS 三丁目の夕日」を観て

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昨晩、“ALWAYS”「三丁目の夕日」を観た。原作者の西岸良平さんは私と一つ違い、共に同じものを見て育ってきた世代である。私は東京タワーの見える夕日三丁目ならぬ北海道のど田舎の育ちではあるけれど、同じ時代の空気を吸って育ったのだということを改めて感じさせられた。昭和30年代というのは、テレビも冷蔵庫も力道山も全ては感動と共に迎え入れ、中卒者が「金の卵」と言われ、貧しくはあったが暖かい人々の心に包まれて、明日への無限の希望を持って生きていた時代であった。復興の足音がどこにも響いていた。

だが、私達は文明の進歩に憧れるあまり、その当時は当たり前であった大事なものを失ってしまったのではないか。すでに画面の中でも金(かね)に翻弄される底辺の庶民の哀歓が描かれているが、経済的発展のために我々は心を売り渡してきたのではなかったか。いや、そこまでは言わなくても、金の力、資本の論理に成す術なく後退していった庶民の姿が透けて見える。今、私達はその失ったものの大きさにたじろいでいる。

私はずっと西岸良平氏の漫画が好きであった。愛読者とまでは言えないかも知れないけれどいつも気になる好きな漫画家であった。だが、今でこそこのような形で遇されているけれども、一部の人たちにはずっと愛されてはきたものの、彼の漫画は随分と不遇の時代を味わってきたはずである。高度成長期の時代は西岸良平的な価値が忘れ去られていく時代でもあったのだから。愚かなことに人は失って初めてその価値に気付くのだ。

「美しい日本」と言うが、今どこに美しい日本があるのだろうか。日本列島は壊れ始めていると感じるのは何も私の時代遅れの感覚のせいだけではないような気がする。当時、誰もが胸に抱いていた「明日への希望」を我々は再び持つことが出来るのだろうか。