2007/04/24

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

  「英英和辞典」を紐解くということ 

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

私は地方の片田舎の中学校で、他の教科と掛け持ちで英語を教えているような語学習得の環境の中で中高と過ごした。都会の真ん中で文化や語学環境に恵まれた地域で育った子どもたちと比して圧倒的な不利な条件の中で語学を習得しなければならなかった。だから、今では逆に語学習得に苦労をしている子どもたちの苦しさや辛さが良く分かる。語学は基本的に体得するものであって頭脳を使って知識として理解するものではないからである。その場に身を置けば乳幼児でさえ簡単に習得できるものを、語学習得に恵まれない環境に置かれたなら、大変な労力をもって訓練しなければならない。

日本人が中国人やインド人などと比べて何で語学習得が下手なのかと言えば、曲がりなりにも日本という国は外国に植民地化されなかったということ、すでに日本には外国に引けを取らない優れた文化が育っていて、明治以来多くの外来語を日本語化することで切り抜けてきたということがなどがあったからではあるまいか。

今ほど電子手帳が普及する前、ぱいでぃあでは中学3年生の卒業生には記念として「ワードパワー英英和辞典」(Z会出版)をプレゼントしていた。書店にはオックスフォードをはじめたくさんの英英辞典があるが、中学卒業生が使うにはちと荷が重い。単語を調べたのはいいが今度はその説明が良く分からないということになる。しかし、英英辞典を使う効能というのは確かにある。我々日本人が日本語の単語の意味を〔広辞苑」で紐解くのと同じ感覚である。母国語で辞書を引くという行為は実は意味を調べているのではなくてその単語の持つ感覚やニュアンス、使用範囲などを知るためである。つまり、我々は言葉を意味というよりは感覚で理解している訳だが、それが英語習得の場合には英英辞典で確認するのが一番なのである。

では、いわゆる「英和辞典」と「英英和辞典」とはどこが根本的に違うのかというと、どんなに優れた英和辞典であろうと、それはやはり英語の単語を日本の単語に置き換えているに過ぎないということである。英英辞典は英語を母国語とする人が紐解いたときに感覚として理解できる説明になっているということがある。その言葉の意味を感覚として納得したとき我々はそれを「理解した」と感じるのである。Z会の「英英和辞典」の優れているところは、英語を母国語とする人たちが英英辞典を紐解くように、そして私たち日本人が「広辞苑」を引くように、英単語の意味や用法を英語で説明しているが、それに加えてその説明文自体を日本語で訳してくれていることである。それによって我々はその説明文に戸惑うことなく、その単語の概念を英語を母国語とする人たちと同じように理解することが可能になるのである。さらに、その概念は日本語で言い表せばこういう意味になるというように日本語の訳語も示してくれているのである。語彙数としては中辞典なみのものだが、普通はこれで十分であろうし、やがて大辞典が必要となる人にとっても優れた橋渡しになるだろうと思っている。

今は優れた電子手帳も出回り始め、発音なども収録されるようになってきているが、辞典というものは本来、単に単語の意味を調べればいいというだけでなく、日本の「広辞苑」や「明解辞典」などにも言えることだが、「言葉は文化の礎」として本来は読むべきものであると考える。そして、この「ワードパワー英英和辞典」も英語学習者だけでなく、英語という言葉に関心のある人たちにはぜひ読んで欲しい辞書でもある。