子馬のこと…むき出しの生死に触れていた子ども時代


子馬のこと…むき出しの生死に触れていた子ども時代 2006/11/15

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  子馬のこと… 
       〜むき出しの生死に触れていた子ども時代〜  

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農耕馬を使っていた農家にとっては、子馬が産まれるということは一大イベントである。農家で飼っている馬は雌馬が多いが、それは次代の子馬を生ませるためでもある。しかし、子作りのための種馬は主に博労が持っている。博労にとってはそれが財産なのである。彼らは見るからに堂々とした体躯の牡馬を持っていることを誇る。農家ではその種を借りて、馬に子作りをさせるのである。

ただし、農耕馬であるから、子種が宿ったからといって、遊んでいるわけにはいかない。農閑期に生ませることが多いが、出産の直前まで馬たちは仕事をしているのである。

今、獣医と言えば犬猫病院の先生を思い浮かべるかもしれないが、私が子どもの頃は主として牛や馬を扱う猛者の人たちであった。腸の調子が悪いとなれば彼らは素手をまくり馬の肛門から腕を肩の付け根まで入れて糞を掻きだしたりしていた。

子どもにとっては何もかにもが荒々しかった。種付けも、出産も、病も、死も、家畜と共にあるということは、生あるものの生老病死のすべてがむき出しであるということだ。馬鹿な羊が誤ってブシ(トリカブト)などの植物を食べたような時は、大人たちは悶え苦しむ羊を押さえつけ、口をこじ開け、一升瓶に溶かした正露丸(家畜の毒消しに良く効いた)などの薬剤を一気に喉へ流し込むのである。そういう赤裸々な生や死のすべてが子どもの眼前で繰り広げられるのだ。生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、眼前の家畜たちの生態を通して子ども達の脳裏にはっきりと焼き付けられる。

子馬が生まれる時、家族の誰もが固唾を呑んで見守っている。ちゃんと産まれてくれるだろうか。人為は尽くすけれども、生死は天に任せるしかない。足は出たけれどもそれ以上進展がない、このままでは子馬だけでなく母馬も危ない、ということもある。そういう場合、母馬を助けるために泣く泣く子馬を死なせることもある。時には、産道から突き出た子馬の足に縄をつけ家族で引き出すこともある。だから、子馬が産まれ出た時、その喜びようは人間の赤ちゃんの誕生に劣らない。人も家畜もその命においては同じなのである。

さて、無事誕生した子馬は、最初はふらふらしながら立てないでいるが、やがてぶるぶる震えながらも目の前で自力で立ち上がり、そしておぼつかない足取りで歩き始めるからすごい。人間の場合にはとてもありえないことである。産まれた子馬は最初のうちは母馬と一緒にいさせているが、ある程度たてば、母馬と子馬を引き離してしまう。母馬には母馬の仕事がある。当然母乳も断つ。そこで山羊の乳の登場である。母馬の乳の代わりに山羊の乳を搾って与えるのである。そして、この仕事は子どもの大事な役目となる。

毎朝毎晩、バケツに山羊の乳を搾り、子馬に与えるのが日課となる。最初のうちこそ子馬は山羊の乳に戸惑うが、やがて山羊の乳を飲み、それを求めるようになる。といって母馬にするように自分で山羊の乳を飲めるわけではない。そこで子馬は乳絞りのバケツを持った子どもの後をとことこと追いかけてくる。そして、子どもが山羊の乳を搾っている間、じっと待っているのだ。だが、それがあまりに長いとやがて待ちくたびれてくる。そうすると、子馬は子どもである私の背中を前足でトントンと叩いてくる。「おい、まだかよ、はやくしてくれよ」そう言っているようである。

一般に動物の子どもはかわいいが、人懐っこくおとなしく聡明な馬の子どもは格別であった。今、馬といえば競走馬であり、北海道でも農耕馬の姿はほとんど見ない。子ども時代の思い出と共に過去に封印されてしまったかのようである。時代がそういう馬を必要としなくなったのである。
だが、子どもであった私にとって、そういう動物との触れ合いは、自分を自然の側に繋ぎ止めておく大きな力になっていた。子馬をはじめ沢山の家畜と過ごせた私の子ども時代はそれなりに大変な時代ではあったが、振り返ってみればまたと得られない至福の時でもあった。今そういうむき出しの自然との交流を失っってしまった青少年たちの生き難さに同情すら覚えるのである。

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