2007/01/21
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  「納豆」データ捏造事件から思う 

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世間の良識派の間では「ヤラセのフジ」とか、「眉唾のお茶の間テレビ」等と受け止められていて、テレビで「これがいいよ」と宣伝しても容易に商品に飛び付かない感性が出来上がっているかなと思っていた。だから、正直、今回の「納豆事件」には驚かされた。普段のようにスーパーに入り納豆を一二個買おうかなと思ったら、何故か納豆のコーナーが空なのである。これはその店だけでなくどこにいってもそうであった。一夜にして一斉に全ての店頭から納豆が消えてしまったのである。

納豆そのものに問題が発生し、一斉に販売禁止になったというならまだ話は分かる。ところが、事態はその逆で、フジテレビ系の「あるある大辞典」とかで「納豆がダイエットに効果がある」と放映されたかららしいのである。「そんなバカな…」

私は、随分昔の「石油ショック事件」を想起せずにはいられなかった。あの時も、「石油の備蓄がなくなり、市場からトイレットペーパーやティッシュがなくなる…」という風評のもとに主婦層が一斉に買占めに走り、本当に市場からトイペーやティッシュがなくなるということがあった。日本人にとっては苦い経験であったはずである

ところが、現実に同じようなことが再び起こったのである。悪夢の再来である。日本人はおかしな状況がやってきてもそれを自分達のせいだとは考えず、台風のようにやり過ごし、後はさっぱりと忘れてしまうらしい。教訓から学ぶことがない。たまらないのは、それを苦い思い出として知っていながら、その騒動に否応なく巻き込まれてしまう人間の方である。何かいい方法はないものか。今回も良識ある消費者だけでなく、生産者も振り回された。増産体制に入ったり、全国紙に品不足のお詫び広告を出したところもある。

傑作なのは、今回の騒動の元となった「お墨付きのデータ」が実は捏造したものであったということ。21日付けの今朝の朝刊にそれが載っている。何のことはない、根拠のないデータを頭から信じ、無意味な行動に走っただけなのである。いい加減このアホな習性から自由になれないと、いつまでたっても日本は二流国から脱することはできない。たとえ先頭集団のグループに入ったとしても、他のメンバーの顔色を窺うばかりで、自分で考えて走り出すということがないであろうから。国際社会を理解するリテラシーの問題であろうか。

それにしても、今さら「テレビへの信頼を裏切った」でもあるまいが、こんな番組を放映したテレビの社会的責任は大きい。