2007/02/05

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  「お前は愛国者か?」と訊かれたら… 

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「お前は愛国者か」と訊かれたら、私は躊躇なく「そうだ」と答えるだろう。この信念に揺るぎはない。しかし同時に、「愛国を越えた視点を持たねばならぬ」とも思っている。つまりは国粋主義者ではないということである。

「改訂教育基本法」が制定され、児童生徒だけでなく国民に[「愛国心」の涵養を求める動きが強まっており、一部マスコミもそれに同調する論調を展開している。だが、「愛する」ということは極めて内面の行為であり、客観的にこれが正しいと提示出来るようなものではない。もしそれを公権力の名の下に行うならば、そこにあるのは自由と民主主義の否定であり、全体主義社会の到来である。我々は二度とそういう愚をおかしてはならない。

権力を志向する人たちの間で「国家の品格」という言葉がもてはやされているようだが、各自の内面の自由の領域にまで公権力が入り込み、時の為政者に都合のいい法律を作り上げるならば、それはとても品格のある国家とは言えないのではないか。

というのは、人に愛国心を説く人たちの「愛国」の先には「亡国」しかないのではないかと疑われる場面をしばしば見るからである。かつて、天皇の名の下にその不可侵の権力を巧みに利用して天皇の意向をないがしろにしたように、今公権力の立場から国民に「愛国」を説く者が…やらせタウンミーティングに見られるように…果たして本当に愛国的であるのかどうかしかと見定めなければならない。これは民主主義を求める国民の責務である。