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北海道での馬との交流から
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テレビで「
神田日勝記念館」の番組を見ていて仕入れた情報だが、
今や農耕馬は十勝には一頭もいないそうである(北海道にどれだけいるのか、一頭もいないのかは知らない)。かつて北海道で馬といえば農耕馬であった。農家には労力として欠かせない存在で、博労(ばくろう)という牛や馬の仲買をする職業まであった。
北海道弁に「ばくる」という言葉があり、「交換する」という意味で使う。もともとはこの「
博労(ばくろう)」から生まれた言葉である。ただ、この言葉は単に「交換する」という意味で広く使われたのではなく(普段は「交換する」を使う)、「相手のものと自分のものを取りかえっこする」という意味で使っていた。だから、子どもの間でも、メンコを交換するときなどに「ばくろうよ」などと使ったもので
ある。
私の親類筋に戦前に
富良野で大牧場を経営していた人がいたが、その屋敷の欄間には馬の絵が一杯飾られてあった。そこは御陵牧場であったようで、
大正天皇が乗馬している姿絵や名馬の躍動する墨絵などが描かれてあった。しかし、そこにいた馬は農耕馬ではなく乗馬用の馬であった。残念なことに今はその屋敷はない。戦後没落の一途を辿り、その家を維持管理し受け継ぐ人がいなくなったからである。
馬という動物はとても不思議な動物である。どんな過酷な扱いを受けようと、決して人間に逆らわない。それが馬の運命として受け入れて生きているような趣がある。体は大きいが、とても繊細で臆病な動物でもある。だが、どんなに興奮していても、たとえそれが人の子かどうか分からないようなものでも決して踏みつけることはしないのである。澄んだ大きな瞳はいつも深い諦観に満ちている。
神田日勝という画家が開拓農民として北海道に入り、北海道の農耕馬と出会い、取り付かれたようにその姿を描き続けたのも分かる気がする。今はその
記念館(北海道河東郡鹿追町東町3丁目2 TEL0156-66-1555
FAX 0156-66-1859)がある。
たとえば主人に野暮用が出来て、馬と一緒に帰れなくなったような時、馬に話して聞かせ、ポンと背中を叩いてやると、馬は遠い道をとことことひとりで家路につき、馬小屋で静かに待っているのである。ある時、ある家の馬小屋で火事を出したことがあった。馬は火をとても恐れる動物である。出口が火事であれば、人間がどんなに引っ張っても出そうとしても頑として動かない。そのままいれば焼け死ぬしかないのにである。その時、どうしたらいいか。馬は火を見るから怖がるのである。だから、火を見せなければいい。つまり、馬に目隠しをするのだ。そうして、はじめて馬は人の指示に従い、馬を小屋から救出することができるのだ。
それほど逞しい力を持った農耕馬であるが、とても
素直で優しい性格をしている。普段は轡(くつわ、馬の口に含ませ、手綱をつけるための金具)を取った子どもの指示にも容易に従うのである。この点、相手が弱い子どもであると知ると言うことをきかないばかりか時には頭突きの攻撃さえしてくる羊とは大違いである。
馬に関する思い出は尽きない。私が大学生になって上京して来るまで馬は我が家に家族の一員としていた。
ハダカ馬(乗馬用の装具を何もつけない馬)に乗って雪山を一緒に歩き回ったこと(下りの坂道で逆さまに転げ落ちても馬はじっと待っている)、重い荷物を引きずる
バンバ競馬に出たこと、雪道を軽快に馬橇で走ったこと、馬の種付けや子馬が産まれるのをお湯を用意したりして固唾を呑んで見守ったこと(その時、家族は付きっ切りで寝ずで見守る)……いろいろな馬との思い出がある。
今や北海道の農耕馬は過去の物語である。耕運機やトラクターなど文明の利器が取って代わった。それは仕方のないことだ。「北海道の農耕馬の保護を!」と無責任に時代錯誤的に訴えたってどうなるものでもない。しかし、そういう利害を超えて、自然の中で、あるいは動物園でもいいから、その姿を留めていてほしいとも思う。
余談だが、「家畜人ヤプー」は知らなくても今や大手検索サイトの「ヤフー」(YAHOO、ヤホーではない)を知らない人は殆どいないだろう。ジョナサン・スイフトの『ガリバー旅行記』には「馬の国」の話があって、動物の中でもっとも知性に富んだ理性的な動物として馬が登場し、どうしようもなく凶暴で絶滅させるしかない家畜として人間「ヤフー」が登場する。いろいろ問題のある話だが、スイフトが馬をどう見、人間をどう見ていたかを考えさせる古典ではある。
※余談だが、テレビで画家・神田日勝のことを放映している時、傍らで見ていた家人がいつの間にか私の呟いた言葉を拾いまとめて、その番組にあった視聴者応募に手紙を出していたらしい。その番組の放映の後しばらくしてから「神田日勝記念館」から日勝の絵画等を収録した立派な記念誌が届いた。私への思いがけないプレゼントとなった。記念誌を送ってくれた記念館の方と家人にこの場を借りて感謝したい。